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マネックスの誕生を実現し、今に至る成長を伴走してきたのがこの人、元ソニー会長兼グループCEOで、現在も国内外企業の経営に関わる出井伸之氏。二人が見つめてきたマネックスの過去、そして未来をたっぷり語ってもらいました。
―― まずはお二人の出会いから振り返っていただけますか。
松本 今からちょうど20年前の10月、IIJ(インターネットイニシアティブ)会長の鈴木幸一さんを通じて紹介いただいたのが初対面でした。「銀座で出井さんと飲んでいるから来る?」と誘われて、すぐに向かいました。
出井 やけに熱く語る若者だなぁというのが第一印象。あの頃、まだ30代でしょう?
松本 34歳でした。2日後だったか、出井さんから直接お電話をいただいて、あらためて日中に時間をくださることに。その場で(現ソニー社長とCFOの)吉田さんと十時さんにつないでくださって、日本初のオンライン証券専業会社の設立準備が始まったんです。
出井 ソニーも銀行事業を始めたばかりで、証券もやるべきだと思っていた頃だったんです。全部社内でやり切ることもできたから当初は批判も受けたけれど、僕は外部の元気なベンチャーと組むほうが良い刺激になると直感したんだよね。というより、僕はソニーだってまだベンチャーだという気持ちでいましたから。実際、僕が入社した1960年くらいは売上100億足らずだった。松本さんと会った頃は3兆5000億くらいにはなっていたけれど、それでもベンチャースピリットは忘れたくなかった。これは今でも若い経営者たちに大事な意識付けとして伝えていることです。
松本 僕もその精神は受け継ぎたいですね。それにしても、あの頃の出井さんは怖かった(笑)。少しでも受け答えに隙があると、ビシッと突かれて。いつお会いしても目が赤いし…。
出井 社長時代はほとんど寝てなかったからね。
松本 緊張しました。一方で、懐の深さを感じる場面は多々あって、何度も救われました。会社設立記者会見の日の『垂れ幕』、覚えていらっしゃいますか?
出井 ああ、ソニービルの壁を乗っ取られたんだよなぁ(笑)。
松本 一般の広告枠としてソニービルの壁面広告を1週間ほど借りていて、記者会見当日の朝にバサッとやりました。ソニービルの壁に踊るマネックスのロゴを写真に収め、記者会見で配るプレスキットに入れたんです。それを知ったソニーの広報の方が怒りと落胆の表情をされて…。でも、出井さんが会見で「今日はマネックスにソニーが占領されてしまったようだ。これは本当に象徴的で、これからもソニーというプラットフォームを大いに活用していただきたい」と話してくださった。最高のボーナストークでした。
出井 あの会見では「若い人が日本を変えていかなきゃダメだ」という話もしたと思います。社長になる前のコンピュータ事業部長時代に、20代のビル・ゲイツとも会ったことがあって、彼は靴下に穴が開いているが「美しいプログラムを組み立てることが一番好きです」と嬉々として話していてね。日本にも元気な若者がどんどん出て来るべきだと思っていたんですよ。
―― 創業期の苦労として印象深いエピソードは?
出井 苦労の連続だったでしょう。赤字が続いたし、初めは間借りしたビルの一室でゴチャゴチャやっていたよなぁ。成長の過程では、いろんな会社と合併する上での試行錯誤もあったし。
松本 出井さんが骨を折ってくださったのに話が流れてしまったこともあって、1年くらい顔を合わせられなかった時期も…。
出井 俺は全然気にしていなかったのに。
松本 本当ですか。話しにくい雰囲気でしたよ(笑)。
出井 それは自分が気にしていたからじゃないの(笑)。
松本 忘れられないのが、創業して4カ月後に発生した大規模システムトラブルですよ。連休中に必死で作業してなんとか持ちこたえて、でもまだチューニングの不具合で週明けも徹夜が続いていた時、朝出社すると紙袋が2つ届いていて「陣中見舞い 出井伸之」と。1つをデータセンターに届けたらウォー!と士気が上がってその日のうちに調子が戻ったのです。あの絶妙な応援は有り難かったですね。さすがだなと思いました。
出井 松本さんにもいつも驚かされていますよ。そもそも事業に対する本気度が違う。あのままゴールドマンに残っていたら半年後には、莫大な上場プレミアム報酬が入ったはずなのに、それ捨てて起業しちゃうなんてね。それから彼は法学部出身なのにテクノロジーについてもかなり深く理解している。仮想通貨のマイニングまで自分でできちゃうんだからね。僕も37歳で理転して苦労したんだけれど、松本さんは簡単にやってしまうからすごいなぁと思いますよ。
松本 出井さんにプレッシャーをかけられてかなり勉強したんですよ(笑)。「これからは金融業もテクノロジーで一変する時代になるぞ」と。まさにその危機感は僕も感じていましたし、2016年夏に立ち上げた新しい価値を創造するためのプロジェクト「マネックスゼロ」にもつながっていきました。
―― 金融とテクノロジーの関連、それらがつくる未来像について、あらためて教えてください。
出井 技術のパラダイムが変化すると、ビジネスも根底から変わっていく。これは僕がソニー時代に身を持って体感してきたことですが、いざ変革となるとなかなか動き出せない人が多いわけです。マネックスという会社は創業から20年経つけれど、松本さん自身が変革しようとしているから、良い意味でベンチャー気質が続いていますね。
松本 そうありたいと思っています。金融とテクノロジーの関係性は急速に深まっていて、中でもブロックチェーンは金融市場をすべて置き換えるほどのパワーを持っていると感じています。どちらもコードとデータによって構成されるものだから非常に親和性が高い。そのことにはアメリカの大手企業や各国の政府も気づいていて、大っぴらには言わないが、かなりの投資をして研究しているはずです。ブロックチェーンが浸透すると、金融サービスの常識がすべて作り変えられる可能性がある。
出井 松本さんはインターネットで日本の金融業界を変革したけれど、ブロックチェーンはその比ではない革命を起こす可能性がありますよね。
松本 そう思います。例えば、今は二国間の送金の中継となる銀行に年間20兆円という莫大なフィーが支払われているんですが、仮想通貨を使えばほぼコストなしでリアルタイムな送金が可能になる。あるいは生活に苦しむ人々を支えようと寄付をしてもどこで使われているか不透明だった問題も、個人のスマホに直接合うスマート・マネーを振り込めることで、確実な支援につながる。盗難防止のために「ミルクを買う時にしか出金できない」と設定することも可能だし、お金の使い方のデザインが自由にできるようになる。お金の信頼性がより高められる未来に、突入しようとしている。
出井 インターネットは情報をコピーする遠心力で広まったけれど、ブロックチェーンはそこに信頼を紐づけるテクノロジーですね。
松本 おっしゃる通りです。現時点では仮想通貨交換業に集中しているブロックチェーン技術に、僕たちが入っていこうとすることには大きな意義がある。サーバの脆弱性が指摘される今、ブロックチェーンはサーバに代わって安全性を担保する技術になっていくはずです。
出井 インターネット証券がブロックチェーン証券に全部置き換わるくらいの変革の時が、もう目の前に来ているということ。ワクワクするよね。
松本 さらにその先にも新しい技術が来るかもしれない。常に飛び込んでいかないと。
出井 これにAIが組み合わさると、マネックスの5年後、10年後が楽しみですね。
松本 僕はいつでも飛び込む気持ちでいますし、仲間である皆さんと一緒に新しい世界を作っていきたいと思います。
出井 松本さん自身も知見を広げるために「100人に会う」と言い出して。実際に会ったの?
松本 多ジャンルの80人くらいに話を聞きにいきましたが、刺激になりますね。デジタルエンジニアリングの世界って、音楽やスポーツと似ていて、才能と努力さえあれば経験年数に関係なく世界一になれる。だから若い人と積極的に会っていると本当にすごい才能に出会えることがある。コインチェックの和田さんが良い例ですよね。
出井 日本の企業は長らく年功序列の文化でやってきたから、なかなか若い才能が開花しにくい。そこを打破したいとずっと考えてきたし、男女問わず優秀な人はどんどん活躍してほしい。その点、マネックスは早くからダイバーシティが進んでいたんじゃないかな。
松本 僕はいつも「野バラ」のような存在でありたいと思っているんです。庭いじりが好きな親父がよく話していたんですけれど、キレイなバラってそれだけでは根や茎が細くて栄養が行き届かず花が咲かないんだそうです。そこでまず太い根を張る野バラを育てて、その茎を切ってキレイなバラを挿すとフワッと美しく咲くという。美しい才能を咲かせられる根っこでありたいと思っているんです。
出井 その松本さんの脇を固めるボードメンバーも、非常に専門知識が深くて決断が早い。世界でも最高の水準だと思って見ていますよ。創業期と変わらない変革の精神と、20年の蓄積あっての経営の胆力とのシナジーをこれからも期待しています。
―― ありがとうございました。